サドと政治

林学著 世界書院

論評


感想:<反抗のエクリチュール>。リベルタン=自然のために忠実に悪徳に奉仕する<自然の機械>。サドにとっての<牢獄>。興味深い視点が各所に。サドの作品においても共和制やら自由やらが重要な位置を占めるわけだから、サドの政治的側面は無視できない。

情報提供:mayumi tomizawa


”<反抗のエクリチュール>が一個の人間の内なる牢獄と外なる牢獄とをともに「爆破」して、個人が個人としての絶対的な自由を獲得するための闘いの武器であるならば、それはそのまま普遍的な人類のレベルにおける人間の抑圧形態に対する<反抗>の武器としてもありうるはずである。・・・(中略)・・・こうして個人としての絶対的自由の探究者サドは、そのままとりもなおさず、全人類の自由と開放のための闘争者サドになることができる。”(第一章 <反抗のエクリチュール>の誕生より)
「サドマニア」の「〜はじめに/PREFACE〜」で宣言したサド文学の個人的ゆえの普遍性という課題にもつながる考察がここにも見受けられる。こういった<反抗のエクリチュール>などの視点を始めとして、サドが牢獄文学者としてその存在を確立してゆく過程を軸に、サド文学のイデオロギカルな解釈を論証した書。サドの完全否定の哲学の裏付けを、獄中のシチュエーションだけでなく、釈放後の妻の裏切りやその後の極貧生活にまで考察しているところなど、理論的にやや還元的すぎる様な印象があるが、サドの政治活動の面をこれほどまでにストレートに明確に追求した論文も他にはないという点で、かなり貴重であるといえる。

(ザッピー浅野)


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