18世紀フランス。有り余る程の破壊的想像力を創作に向けた偉大なるクリエイターがいた。彼の自由な精神は、牢獄の壁も、時代の壁さえも突き破り、現代の日本の社会に凄まじいまでのインパクトを与えてくれる。私は、ひたすら破壊に向かってゆく彼の創作活動のなかに、何か人間が生きてゆくうえで必要なエネルギーの様なものを感じずにはいられない。そう、彼の名は、ドナシアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。
サドはその生前より死後長い間に至るまで、常に極悪で陰惨な伝説に包まれてきた。その名がサディズムの語源となったという事実を始め、数々のスキャンダル、過激の一途を極めた暗黒文学作品、その中にちりばめられた宗教冒涜に始まる完全否定の哲学、そして三流作家の烙印。
彼は確かに、紛れもない犯罪者であった。彼の犯した罪がとるに足らないものであったか、彼が人生の27年もの年月を獄中に強いられ、死後100年余にも渡って人々の非難と嘲笑の的となったことがその報いとして似合ったものであるのかどうか、私には解らない。彼の文学が幾千の読者達の精神に啓蒙の光を照らしたとしても、それらの罪は罪として否定する訳にはいかないであろう。
しかし、彼を極悪非道で冷徹な悪の哲学者として囃し立てる風潮の大半は、彼の実像と比べた場合、大きく誇張された誤解であることもまた事実である。少なくとも、そういった人々の誤解を呼ぶような彼の全てにおいて極端で放埒な精神が、自らを獄中生活と言う異常な環境に陥れ、今日に残る貴重な作品群を生みだす結果となったこともまた事実なのだ。そしてそれらの文学の価値は、彼に寄せられる悪評と言う悪評の全てを呑み込み、概念の上ではるか高く超越するだけの重圧な存在意義を持っている。
彼の長編デビュー作"ソドムの120日"では、自らの退廃的な精神をバラバラに分解し、究極の暗黒哲学絵巻として体系付けてみせた。ベストセラーとなったかの"ジュスティーヌ"シリーズでは、更に具体的なコンセプトで古い道徳観念というものを破壊した。その他、ダイアローグという形で彼の哲学を明確に表してみせた"閨房哲学"や、”現実的”な”悲劇”と”空想的”な”幸福劇”が巧みに交差した異色長編"アリーヌとヴァルクールあるいは哲学小説"など、単調な作風の中にも彼の魅力的な人間像が浮かび上がってくる。
彼の文学は何よりも過激で極端だからこそ、強烈な時代背景と個人的な感情のもとに書かれた彼の文学が、より普遍的な影響力をもって我々に語りかけてくると言えるのではないだろうか。私はこのホームページを通して、彼の人間像にまとわりついた数々の誤解を解きほぐし、現代社会においてサド文学をひもとき、サドについて考えることの素晴らしさを研究していきたいと思う。
18世紀、彼を縛り付けていたものは果たして、現代の我々には全く無関係のものであろうか。今彼の文学を読む意義とは何か。そして彼の哲学、カリスマ性は、現代の日本にどのように息づいているのだろうか。皆と一緒に考えてみたい。
ザッピー浅野
●澁澤龍彦「サド侯爵の生涯」、中央文庫、1983年
●澁澤龍彦「サド侯爵の手紙」、ちくま文庫、1988年
●澁澤龍彦「サド裁判」(上下巻)、現代思潮社、1988年
●澁澤龍彦「サド復活」、日本文芸社、1989年
●マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」、澁澤龍彦訳、角川文庫、1974年(Marquis de Sade, Juliette ou les Prosperites du Vice)
●マルキ・ド・サド「ジュリエット物語又は悪徳の栄え」、佐藤晴夫訳、未知谷、1992年(Marquis de Sade, Histoire de Juliette ou les Prosperites du Vice)
●マルキ・ド・サド「新ジュスティーヌ」、澁澤龍彦訳、河出文庫、1987年(Marquis de Sade, la Nouvelle Justine ou les Malheurs de la Vertu)
●マルキ・ド・サド「ジュスチーヌ、あるいは美徳の不幸」、佐藤晴夫訳、未知谷、1991年(Marquis de Sade, la Nouvelle Justine ou les Malheurs de la Vertu)
●マルキ・ド・サド「ソドムの120日」、佐藤晴夫訳、青土社、1997年(Marquis de Sade, les 120 Journees des Sodome ou l'Ecole du libertinage)
●マルキ・ド・サド「閨房哲学」、澁澤龍彦訳、河出文庫、1993年(Marquis de Sade, La philosophie dans le boudoir)
●マルキ・ド・サド「食人国旅行記」、澁澤龍彦訳、河出文庫、1987年(Marquis de Sade, Aline et Valcour ou le Roman philosophiqueの第二巻)
●マルキ・ド・サド「恋の罪」、澁澤龍彦訳、河出文庫、1988年(Marquis de Sade, Les Crimes de l'amour)
●マルキ・ド・サド「恋の罪」、上田祐次訳、岩波文庫、1996年(Marquis de Sade, Les Crimes de l'amour)
●マルキ・ド・サド「イタリア紀行I」、谷口勇訳、ユーシープラニング、1995年(Marquis de Sade, Voyage d'Italie)
●マルキ・ド・サド「ガンジュ侯爵夫人」、橋本到訳、水声社サド全集第十巻、1995年(Marquis de Sade, la Marquise de Gange)
●シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」、白井健三郎訳、現代思潮社、1977年(Simone de Beauvoir, FAUT-IL BRULER SADE)
●ロラン・バルト「サド、フーリエ、ロヨラ」、篠田浩一郎訳、みすず書房、1990年(Roland Barthes, Sade, Fourier, Loyola)
●ジャン・ジャック・ブロシェ「サド」、山辺雅彦訳、審美社、1975年(Jean-Jacques Brochier, Sade)
●ジルベール・レリー「サド侯爵 その生涯と作品の研究」、澁澤龍彦訳、筑摩叢書、1970年(Gilbert Lely, Sade Etudes sur la vie et sur son oeuvre)
●クロソウスキー「わが隣人サド」、豊崎光一訳、晶文社、1969年(Pierre Klossowski, Sade Mon Prochain)
●ヴァルター・レニッヒ「サド侯爵」、飯塚信雄訳、理想社、1972年(Walter Lennig, de Sade)
●オクタビオ・パス「エロスの彼方の世界ーサド侯爵」、西村英一郎訳、土曜美術社出版販売、1997年(Octavio Paz, UN MAS ALLA EROTICO: SADE)
●スチュアート・フッド、グラハム・クロウリー「サド(知的常識シリーズvol.20)」、吉田雄一郎訳、心交社、1996年(Stuart Hood, Graham Crowley, Marquis de SADE-introduction & explanation)
●ジル・ドゥルーズ「マゾッホとサド」、蓮実重彦訳、晶文社、1996年(Gilles Deleuze, PRESENTATION DE SACHER-MASOCH -le froid et le cruel-)
●林學「サドと政治」、世界書院、1987年
●Sade, La philosophie dans le boudoir, UNION GENERALE D'EDITION, 1986
●D. A. F. de Sade, Aline et Valcour ou le Roman philosophique(I〜IV), PARIS Jean-Jacques Pauvert, 1963
●Sade, Journal inedit, Gallimard, 1994
●Sade, la Nouvelle Justine, UNION GENERALE D'EDITION
●Sade, Histoire de Juliette, UNION GENERALE D'EDITION, 1980