JOURNAL INEDIT

1970/folio/essais


サドが晩年の11年間を過したシェラントン精神病院での日記を刊行したもの。内容は1807年6月5日から1808年8月26日までの「第一の手帖」と、1814年7月18日から死の2日前の11月30日までの「第四の手帖」の二つで、第二と第三が未発見のため欠如しており、恐らくサドの生前に押収され焼失したものと思われる。1970年に初めて刊行され、それまで全く知られていなかったサドの晩年の生活にスポットを当てる貴重な資料となった。特に最も注目すべき事実は、この日記の中で初めて明かされたサドの生涯最後の恋人、マドレーヌ・ルクレールの存在である。シェラントンでの不自由な生活の中で、サドがどれだけこの少女との恋愛に生き甲斐を見いだしていたかは、日記の記述での執着ぶりにありありと伺える。サドはマドレーヌの訪問の度に、「マドレーヌ、○回目の訪問、×回目の閨事(閨事とは二人が友達以上の親密の関係になってからの訪問回数)」、「次回は来週の△日に来ると言っていた」、「今日は□時間ここにいた」といったことを書き記し、彼女が「自分の体調が悪いのを心配してくれた」とか「初めてチョコレートを欲しがった」とか書いては自己満足に耽っている。こういった、老人サドが少女の行動に一喜一憂する様は面白いといえば面白いが、勿論全盛期の長編小説のようなパワフルなものは全くなく、また個人的な文章としても、牢獄での手紙のような生き生きとした面白さはない。あくまでも個人的な日記で、公に発表するために書かれたものではない為、文章にも間違った文法や省略表現が目につき、文学的完成度も全く認められない。そういう点で、純粋なサドの晩年の生活を知るための資料的な書物と言えよう。

(ザッピー浅野)



HOME.gifgoback.gif

Copyright (C) since1996 SADEMANIA.com All rights reserved