サドを語る・バックナンバー2
1997年6月23日〜7月22日
[No:51][丸尾] [97/6/23 23:9:40]
- とりあえず、初めに書いておこうと思いますが、私は文学、哲学とも専門的に勉強をしたことはありません。そんなわけで、素人、なわけです。そんなわけで、とっぴょうしもないことを書いたり、訊いたりすると思いますが、どうぞ、おおめにみてください。
一応、discussions backnumber を読ませていただきましたが、とりあえず、訊きたいことが出てきたので。澁澤氏の評価に関して様々な意見が出ていますが、とりあえず、サドの澁澤、という観点からの意見なのですよね。と、これがまず、訊きたいことです。ここでまた訊きたいのですが、澁澤というのはどのような立場の人間だったのでしょうか(サドとのかかわり合いに関して。またそれ以外に関して。)? 私は澁澤氏はサドの研究者というよりも、ただたんに、サドの紹介者ではないか、と思っているのですが。discussions backnumber ではとりあえず、澁澤氏はサドの研究者である、としての意見なんですよね。
澁澤氏はどの辺まで、サドにかかわっていたのでしょうか? とりあえず、澁澤氏が学生のころは明らかにサドとかかわっていたのは明らかなのですが、後半、というか、晩年はそれ程までにサドとはかかわっていなかったように思うのですが。どうなのでしょう?(澁澤氏は卒論の題名が、“サドの現代性”ということだそうですが、私はその論文を読んでみたいな、と思っているのですが、どこか、なにかで読めないのでしょうか?)
と、澁澤氏のことについて書いてきたのですが、次に、サド、について訊きたいことがあります。
いま、サドの研究(ここにはサドを専門的に研究している方がいらっしゃるということなので)において、“サド”という言葉は、どのように使われているのでしょうか。“サド”という言葉の意味、また、“サド”という言葉の定義、なのですが。私はただ、サド、と言っただけでは言葉の意味、範囲が広いのではないか、と思っているので、このようなことを訊きました。まあ、会話中とか文章中とかであればその話の流れでだいたいはわかるのですが、とりあえず、訊いておきたいと思います。
[No:52][Aya] [97/6/24 23:25:20] [Comment Number-50]
- こんにちわ。丸尾さん、はじめまして。
さて、澁澤の立場ということなんですが、彼の立場はあくまでも「紹介者」であり、作品の「愛好者」であったという事だと思います。
ただ、作品を紹介するというそれ自体が、その紹介者の主観的立場を反映する部分がありますよね。ですから「澁澤のサド観」云々、という発言が登場するのも当然だと思います。
ちなみに澁澤の卒業論文である「サドの現代性」は読む事はできません。全集編集委員の巖谷國士氏は読んだそうですが...。
ちなみに澁澤のサド解釈の存在意義については論文を書く予定でいますので、もう少し待ってくださいませ。
では、また。
[No:53][ヘルカッツェ] [97/7/3 15:59:14]
- ひさしぶりです。ヘルねこさんです。
確かに、私も文学の研究者ではないので、いいかげんなことを書いていま
すね。確かに、渋沢は「サドの研究者」というよりは、「サド作品の愛好者
と言った方がいいかもしれません。
しかし、渋沢の解釈がずいぶんその後のサド解釈に影響しているということ
はあるとおもいます。その意味では「研究者」に含めてもいいかもしれま
せん。
渋沢は、サドに限らず、「異常性欲」とか「異常犯罪」に非常に興味を持
っていろいろ紹介しています。(私はその取り上げかたは興味本位な感じ
がして嫌なのですが。)渋沢のサド観をとりあげる際には、そういう面も
含めて考える必要はあると思います。
[No:54][丸尾] [97/7/5 22:56:7]
- ヘルカッツェさん、お返事、ありがとうございます。
ああ、とりあえずはじめましてですね。どうも、はじめまして。丸尾です。ヘルカッツェさんのこと、というか意見、というかは、このディスカッションのバックナンバーを読み、知っております。確かみなさんが待っておられたはずです。やっと来てくれたのか、と思っている方もいらっしゃるのでは。
私の澁澤氏感、ですが。“あまのじゃく”といった感じです。この言葉が澁澤氏にはとてつもなく合っているのではないか。と、私は思っております。ただ、そう思っているだけで、これといって明確な、というか語るほどの考えはなく、ただ、そう思っているといいうだけなので、ヘルカッツェさんやAyaさんの会話に入り込めるほどのものはなにもないのですが。ただ、種村李弘さんか出口裕弘さんが、もし今現代に澁澤氏が生きていたとしたら、とてつもなく道徳的なことをいっただろう、というような(“ような”であって、確かなことは覚えていませんが)ことを言っていて、私は(とても当たっているな、と。また、ただたんにおかしくって)笑った覚えがあります。
澁澤氏の作品は、読まなくてはいけないと思いつつ読んでいないので、これといってなにも話すことはできないのですが。
私は今、SM、について(ただ単に)思ったことを書いているのですができたらここへと出したいな、とも思っていますが、ちゃんと、仕上がるのでしょうか? とりあえず、大まかなところはできているのですが、原稿用紙で20枚位になっているようです。ただ単なる感想文のようなものですが、とりあえず、ここへと送ろうかな、なんぞと考えてもいますが、さてはて。その前に、ディスカッションの賢者たちの意見を読みたいな、と思っているのですが、ザッピーさん、どうにか読めないでしょうか? おねがいします。
あ! ザッピーさん、美徳について、ですが、ちょっと書いておきたいと思います。とりあえず、「美徳」という言葉の定義ずけが私の中でしっかりと定まっていないので、また、M・サド(マルキド・サド、自身のことです。)の言わんとしている「美徳」と言うものも読み取っていないので、本当に、ちょっと思ったことを書くだけですが。
澁澤氏のサド裁判に関するものを読んでいて、「最も猥褻(猥褻意識を持っている)なのは、検察側である」と言うようなことを書いていたのですが、その感覚を持って、サドの美徳ということに照らし合わせると、やはり、「最も美徳(美徳意識を持っている)なのは、サドである」、と言うことになるようなきもしますが。
と、ほんとにちょっと思っただけのことなので、気にしないでください。(私ももっと勉強しないとだめですね。) と、以上です。 それでは、また。
[No:55][ヘルッカッツェ] [97/7/7 16:37:14]
- ヘルねこです。
丸尾さん、お返事ありがとうございました。
そうですね。渋沢は確かに「あまのじゃく」ですね。わざと変人ぶっている
その感じが、私は好きではないのです。まあ、あの時代にルートヴィヒ二世
やジル・ド・レエ侯爵やを紹介したり、あるいはユイスマンスの「さかしま
に」などを翻訳したりした功績はあると思います。
ではまた。ヘルねこ拝
[No:57][ザッピー浅野] [97/7/10 1:8:49] [http://www.jah.or.jp/~piza/]
- 皆様こんにちは、お久しぶりです。
素朴な疑問なのですが、もし澁澤氏がサドの「研究者」ではなく、「愛好者」であったのなら、今までの「澁澤氏のサド観」に対する批判はすべて無に帰するような気がするのですが。結局、愛好者は単なる愛好者ですので、勝手に愛好していればいいのですし。逆に、そういった批判に対する意見として、「澁澤氏はサドの研究者ではなく、単なる愛好者だったから」とも言えたと思います。しかしこれが、前にヘルさんが言った「澁澤氏のサド観は浅い」とか「偏っている」というタイプの批判だったら、いいんですけども、あくまでも主観的なことですから、そこから展開する論議は余りにも抽象的になりすぎるので、意味がなかったと思います。
要するに問われていたのは、サドの紹介者としての「責任」ということなのでしょうかね。
他にも、「澁澤氏のサド」は、澁澤氏本人を離れて、独り歩きがすぎてしまったことも、理由にあるような気がします。
ちなみに、澁澤さんは、どういう点で「あまのじゃく」といえるのでしょうか。変人だとは思いますが。ただ、サド関係の著作の中などで、サドのことを時には誉めたり時には冷やかしたりしているさまは、彼は基本的にはジルベール・レリー的な「サド=悲劇の英雄(ヒーロー)」思考の持ち主なのにもかかわらず、屈折しているな、とは感じます。
丸尾さん、作文のほう、楽しみにしております。出来上りましたら、メールでお送りください。ぜひ、掲載させていただきます。
丸尾さんが「サドの美徳」(正確に言うと、サドの「モラル」の方がいいでしょう)について言われたことは、的を得ていると思います。ジャン・コクトーも、「サドは彼流にモラリストである」といっておりますし、まあ、フランス語の「モラリスト」と英語の「モラリスト」では若干意味が違うらしいのですが、少なくともサドはサドの流儀で、人間性というものの根源と理想を追求していたのは確かです。
そしてサドがその自己流のモラルのために、時代の社会と対立していたように(正確にいうと、逆で、社会と対立したために、サド流のモラルが発生したのですが)、澁澤氏が「悪徳の栄え」の翻訳によって日本社会と対立し、そこからサドのモラリストとしての本質に注目することは、考え方として正当な道筋だと思います。
[No:63][ヘルカッツェ] [97/7/22 17:41:34]
- 偉大な芸術家はみなそうですが、サドにも(世間とは違いますが)自分なりの一本筋道通ったモラルがあると思います。
また、あの時代では非難されても、現代から見るとむしろ正常に見えるところもあります。(たとえば、娘にコルセットをさせないで育てた、など、現代ではあたりまえすぎます。)